20230602

6月だ!今年の折り返し地点!

 


こんにちは、お久しぶりです。

初めてこんなに期間空いた、、、

だいすきルーミンがブログあげてるのみて見事に影響されました。実は2、3回くらい書いてはいたんだけどどうもうまくいかなくて書いては消してを繰り返し、今に至ります。私にやる気を出させてくれてありがとう!!!!!

 


まあ今回はたらたら独り言日記のような感じで行こうかなって思ってます。いつものことなんやけど。

 

 

 

たまにふと思い出すのがカナダで1人で買い物にショッピングモールを歩いてて周りにはインド人の子供連れだったり中国人のカップルとかがいたり白人の若者がきゃあきゃあ言ってたり。そんな何でもない一瞬の記憶がふと頭に浮かぶことがあって、それが日常じゃなくなったんだなって余計に実感する時がある。別にめちゃくちゃ戻りたいとかそんなんじゃないんだけど、ああもう思い出すほどのものなんだって遠くなってしまったんだなって思う。もちろん、ずっとの永遠とかはこの世には無いんだけどね。

中学、高校の時に大好きだったアイドルたちももう活動してなくて、何かに夢中になってた青春の思い出は当たり前にずっと続くわけじゃ無いんだなって実感した。悲しいこともあったりしてすごく不変的なものへについて考え込みがちになっちゃってた。すごく思うのは私たちより上の世代は変わらないものへの美徳が確かにあって、私たちの世代よりもそれは強いし、その分確実に長く続くものは多い気がする。それがたまにすご〜く羨ましくなる。変わり続けることは素晴らしいときもあってそのおかげで何かを得られることもあるけれど、何かが無くなる時もある。そのままで全てずっと残ってほしいなって思うことは少しわがままな気もするけどね。

今のファッションも歌もiPhoneも新しい世代にいつか鼻で笑われる日が来るんだからそれまでに変わらない自分のスタイルがみつかればいいなっています、22歳。

まあそれでも親がサブスクわからんっていうのは意味わからんけどね!?あんな最高なサービス無いさ〜

 

1番帰ってきて感じたのは冷蔵庫開けっぱなしでピーピーなるのなんなん?です。開けっぱなしを防ぐとってもエコな発想だし素晴らしいとは思うんですが全ての行動がカメのように遅い私には急かされてる気がしてストレスとっても受けますね。そんなこともあるね。

1番幸せなことは水曜日のダウンタウンが毎週新作がみれることです。


今回あんまり内容無いけどだいすきるーみんが毎日ブログを載せることにしたらしいけど三日坊主の私には無理なのでせめて週一?月一、、?にでもあげようかなと思ってます^_^次回は最近みた映画か本の感想でも書こうかなって思ってます^_^

 


昨日好きなKPOPアイドルが新曲を出したので幸せたくさんです🎶そしてそれを聴きながら外に走りに行った時の綺麗な写真を載せておきますね🎶初の写真投稿🎶

f:id:RestofOurLife2001:20230603163633j:image

20230320

こんにちは〜

 

ゆいな先生をすっ飛ばして2回連続で失礼します、すみませぬ。

実は今日この日がカナダのバンクーバーで過ごす最後の日なので何かしら書きたいなと思い今に至ります。ゆいな先生、ごめんなさい。思いつきわがまま大使をお許しください。

 


2021年の12月22日にカナダに来て、今日まで(アプリによると)452日経ったようです。丸一年居たなんて結構驚きです。総評すると、とても良い日々を過ごしました。私が何かをつくるとき、終着点には欲しい色があります。それはオレンジと黄色の間の薄い柔らかい色の中に透明のグラスを透かしてみたようなキラキラの反射が入ったような色です。文字にすると訳が分かりませんが、とにかく自分の中にはあるんです。いまの帰る直前の気持ちはまさにそれです。今までの日々への満足感や家に帰れる安心感、そしてこれからの未来への焦燥感すべて私が思い描く色に近いような気がして幸せな気持ちです。

 


あんなに帰りたかったのにいざ帰るとなるとまだ残っても良かったなどと人間のないものねだりには呆れます。みんなが言う「現実に戻る感覚」というのにいま共感することができます。少しずつ自分の人生に戻るような感覚、これも人生の一部なのに。不思議ですね。帰りたいと思える国に生まれた幸せを忘れずに、自分の人生の終着点の地をゆっくりゆっくり決めていこうと思います。

 


正直、パッキングや家の掃除に追われつつ、真夜中にこれを書いていて絶対的に優先順位違うだろの状態で今回のはとても不安です。自分でも何が言いたいのやら。

 


とにかく!ここに来れて良かったです。素敵な人にたくさん出会えた。自分についてもたくさん知ることができた。外に出向く楽しさを知った。

 


これを読んでくださってる人はカナダの地で出会った方が多いと思います。一人一人に感謝します。お世話になりました。

また個人的に日本でお会いできるのを楽しみにしています。

お身体に気をつけて、美味しいものたくさん食べて、程よく働いて、貴方様の幸せに時間を使ってください。

 


日本に帰ってもゆいな先生と連絡とりつつぼちぼちこの日記を続けていきたいです。

 


いつもは書きたいテーマがあって頭で思いつくままを書き留めてそれを元に作るスタイルで、今回はぽやぽやのままなんとなく、なにか残しておきたいなと思って書いているのでゆるーくなってます。軽いお気持ちで柿の種の横のピーナッツをつまむ気分で読んでいただけたら嬉しいです。

 


では寝て、明日日本に飛びます。

お世話になりました!バンクーバー

20230225

こんにちは、みなさんいかがお過ごしでしょうか。やばPな自分がここまでブログを続けていられることに正直、驚いています。最近は晴れが続いていて明るい気持ちが続いていて天気で人の心が左右されるって人間とは不思議だなと常々感じています。

 

 

 

さてゆいな先生も取り上げていた本の話でもしましょう。実は一緒に行った旅行中に私も読みました。なにしろ睡眠不足の中で読んだので少し暗い受け取り方をしてしまいましたが、いろいろと考えさせられました。一つだけ思ったのはただ、寂しいとだけです。この人の生活に何かを与えることもできなければ与えてもらうこともできない。彼女は彼女にとっての世界だけを望んでいて他者の理解へはあまり興味がないようです。私は全く本当に何も関係ないですが、彼女の人生の一部を除き、そこに理解すら示すことさえ求められていないことに少しの寂しさを覚えました。まあ彼女からしたら知らんがなといったところですが。

 


とかいう私はそうやって「普通」ではない側の扱いを物心ついた時から受けられることが人よりすこし多かったように思います。小学生の時から「りさちゃんは変わってるね」とよく言われたものです。私は当時ファッショデザイナーになりたいとかいう小学生あるあるの漠然とした夢を持っていたので母からの「普通じゃないって良いことやん」という言葉と共に褒め言葉だと受け取ってきました。

しかしやはり中学生、高校生になると思春期の子供たちは群れること好みます。少しずつ集団の中で違うことがあるごとにだんだんと自分への自信を失っていった気がします。今でさえ、もし、この集団という文化ではなく個人主義の国に生まれていたら私は今とどう違うんだろうと思ってしまいます。

 


幸いなことにそうやって少数派の私は自分と同じ良い意味で常識を持っていない人たちに出会えてきて大切な関係を築けています。私にとっての普通の人生は幸せを探す人生です。そこには年齢も性別も考え方や性格もあまり関係ないように思えます。今でも、未来のためでも幸せを求めることがあればみんな普通だし唯一無二の素敵なその人の人生です。

常識と言った当たり前がないからこそ悩むことは多く自分で決めなければならないことが負担になることはもちろんありますが、その分自分に合った幸せが広がる気がします。

 


私はずっとなぜ年齢と共に皆同じ教育を受けるのか、高校を卒業したら大学へ行くのか、なぜ自分は男が好きだと思っていたのか、何のためにメイクをするのか、なぜ人間は好きな人と家族になろうとするのか、結婚するのか、なぜ無意識に私たちはしてはいけないことを知っているのか。

たくさんたくさん考えてきました。こんなつまらない小さななぜを一つ一つ考えて自分なりの答えを出してきました。

一時期はなぜ人を殺してはダメなのかについて本当に真剣に1ヶ月ほど考えていた時期もあります。これをみて誰かはなんだこいつは、倫理観もないのかと思うかもしれません(笑) 私はただ、これが人間が本能的に思うものなのか、それとも歴史から培われてきたものなのか気になったのです。本能的に人間という生物を絶滅させないためにそう考えるようになっているのか、または集団で生きる人間にはルールが必要でリーダーなる上に立つものが皆を仕切るために必要だったのか、はたまた誰かがその罪を犯した場合にその人が「普通」ではないと認識することで自分たちが「普通」だと再確認し、安心するために作ったのか。など、馬鹿げてはいますが本当にたくさん睡眠を妨げるほど考えたものです。

最終的に至った結論はとてもシンプルで、誰であっても誰かの人生と未来を奪うことはできない。ということです。それぞれ誰であろうとあなたがどんなに嫌いであろうとその人にはその人の人生があって未来がある。そしてそれは全員が生まれた時から持っている権利のような財産のようなもの。だからこそ誰にも奪うことはできないと、私は結論付けました。

常人なら1番に思いつきそうな内容です。

でもこうやって悩むことで自分が出した結論だからこそどんな時も納得でき、自分の決断に自信を持つことができます。人生できっと1番多く言われた言葉は「考えすぎ」です。何度言われても傷つき、慣れることができません。なぜならこれが私にとっても普通だから。いつも考えすぎと言われるたびに自分を否定されたような気持ちになります。

しかし、自分の幸せな人生にはこれは必要不可欠です。これからも些細な疑問を一緒に分かち合ってくれる愉快な友達と幸せに向かって生きていきたいと思います。どうせ人間はいつか死ぬんだし自分を愛さなければ。

両親だって私の存在は愛してくれてはいるけど、私の思想までもを愛しているわけではない。自分が愛さなきゃ、誰が愛してくれんねんと最近つくづく考えます。

 


話は急に本へと戻りますが、彼女は他者への介入や理解を求めてないように思えます。自分の世界だけで完結しており、他と関わることは単なるオプションにすぎず、どこまでうまくやり過ごせるか、つまり受け流せるか、というように見えました。そこに少しの寂しさを覚えました。

 


と言った感じの最近本を読んで感じたことと自分のことについて向き合った感想でした!

 

 

 

つくづく思うけど自分のことがめっちゃ好きでしゃあないわあって誰かに笑って言えるようになったらいいなあ。

そんで好きな子にはいっぱい愛伝えよ!好きって思ったらそん時言お!!!

みんなにたくさん幸せがきて大好きな人と素敵な毎日を送ってほしいだけなんよ、神様は試練与えすぎやし、みんなは頑張りすぎ。程よくへらへらにこにこに生きていこうね。

 


あと最後にめっちゃべらべらしゃべってごめんなんやけどなんか幸せやなと思ったことあった!この前韓国人の姉さん的な人とこれまた韓国人の大好きまぶ〜みたいな子と3人でご飯食べに行ったんよ。自分、最近結構友達にちょっといろいろあってそれを姉さんが理解してくれて友達のおかしいところを韓国語でぶわあって言ってくれてその時にきこえる自分の名前にすごく嬉しくなった。大好きな人の母国語から聞こえる自分の名前が大切なものに思えて本当に泣きそうになった。もっとこの名前好きになったわ。誰かから伝わる感情の温度感に敏感で久しぶりに幸せだと思った。

 


といったころで、、、そろそろ終わりにしま〜す

今回信じられんほどだらだら書きすぎた。

 


最近イギリス人バイトの子とお互い不眠症だねって話になったあと帰り際に言われた”Sleep well”にすごく感激を受けたのでみんなにもお届けしたい。

 


それではみんな〜自分に優しく生きてください。

Sleep well<3

 

20230216

こんにちは。しばらく期間が空いてしまいましたことを許してください。

毎度のことながら、特にこれといったトピックはありませんが、最近の出来事や感じたことを書いていきたいと思います。

 

先週、オーロラを見に行きました。
短い滞在期間で見れるか心配でしたが、この目でしっかりと!見ることができました!!
綺麗という言葉でしか形容できないのがもどかしいくらい、壮大で感動的でした。
言葉でも写真でも残せない、その場でしか味わえない景色でした。

変な言い方になりますが、この旅を通して、自分って生きてるんやなぁとしみじみ感じました。
というのも、普段感じることのない感覚を味わい、大自然というものを、身をもって実感したからだと思います。オーロラはもちろんですが、まず星空がすっごく綺麗でした。
星ってこんなに見えるん?!っていうくらい、まさに満天の星空が広がっていました。
バンクーバーよりも、私の地元よりも、空が広くて雄大でした。

また、今までに経験したことのないような静寂を味わいました。ロッジの目の前は森、山が一面に広がっていて、たま〜に遠くで聞こえる飛行機や車の音を除けば、そこはまさに静寂の世界でした。静か過ぎて怖くなるくらいに、無音の空間が広がっていました。

普段、家で静かにすると言っても、近所の生活音、車の音、人々の話し声などが絶えず聞こえるので、完全に音から解放されることって中々ないと思うんです。なので今回、完全なる静かな空間っていうものを初めて経験した気がしました。
そして、そんな大自然の中にぽつんと立っていると、自分がとても小さな存在に思えました。

こういう非日常を経験すると、日常でいかに自分が行き急いでいて、視野を狭めて生きているのかということを改めて認識できます。そういう意味でも、今回の旅は貴重な経験でした。せっかくなので、日頃から、心のゆとりをもって生きていきたいです。

平たい顔族の小娘たちが歩いとるわ〜みたいな目でジロジロ見られたり、飛行機の荷物でプチトラブルがあったりでしたが、それもまた思い出ということで(^^)

 

 

オーロラのお話はこの辺にしまして。最近読んだ本から、感じたことを記録程度に綴りたいと思います。

その本は、著者の実体験をもとにして書かれた、エッセイ本的なジャンルの本です。内容としては、著者なりに一生懸命、「普通」に生きているのですが、周りからは普通でない、普通の人のように生きてほしいと言われ続けて、「普通」の意味や、普通に生きることを模索する、といった内容です。


たしかに、「普通」っていう言葉って、よく使うけれどその意味って案外多義で難しいし、言語化しにくいなぁと思いました。
私は多分いわゆる「普通の人」で、普通の人生を歩んできたと思うのですが、各人にとっての「普通」が存在するのだろうし、自分にとっての普通を、意図せずとも誰かに押し付けていることがあるのかもしれないと、ふと考えさせられました。
誰かにとっての普通は、他の誰かにとってはそうでないかもしれないし、そこに想像力を働かせることができるゆとりを持っていたいです。

アインシュタインも言ってましたよね、「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションだ」的なことを。この「常識」を「普通」って言葉に置き換えてもいけるんじゃないかなぁと。その人にとっての普通は、その人が18歳になるまでに身につけてきた偏見の堆積物に過ぎず、したがってそれが絶対的なものではない、そう考えるだけで、自分と違う考えや行動の人に対して、「いや、普通はこうするやろ?」的な小さな怒り・疑問・違和感とかが、少しは解消されるんじゃないかな〜って思いました。


ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。そこのあなたにハッピーなことが起こりますように!!!

 

ゆいな

20230201


みんな〜いかがお過ごしですか〜!
少し前に年が明け、もうすでに1月が終わろうとしていますね〜。誕生日を迎えて22歳になりました〜!

 

とってもありがたいことに色んな人におめでとうって言っていただいて、本当に22歳になったんだなあとしみじみ感じています。この国で平気でlove youという文化に触れて愛をもっと昔より気軽に受け入れることができるようになりました。つまり自己肯定感がアップだドンといったところです、文化に感謝。


まあまあはぴはぴな誕生日を過ごしたのですが、22歳になぜだか責任感というのか、、ついになってしまった、、と思ってしまうんです。こう言う考え方はどうかとは思うのですが、高校生の時から私は歳を取りたくないと思い続けています。何かと付き纏う責任感や求められる像になりたくないからです。正直いって年々自由では無くなっていっている気がしてしまうのです。いや、これは気のせいではないと思います。年相応の服や、態度、品性、目に見える何かを年と共に変えていかなければならないのが私にはよくわかりません。わかるのですが、わかりたくないのです。
ミニスカートを履けるのは今のうちだなんて聞きたくないのです。
そして私は25歳になるのがとても怖いです。誰かの歌で女性の一番美しい人生の瞬間は25歳だという信仰があります、それは私にも同様に植え付けられています。その瞬間に美しくないことが怖いのです。短命な人間の中で最も美しいと言われる時に美しくあれるのか、怖いのです。


そして人と話して、思ったのですが私が22歳まで生きているとは高校の時からしたら想像できないことでした。ふと、自分が22歳なんだと思い、心底驚きました。学生時代から生きるのが下手で、仕方がないんです。ただこんな自分でも22年間生きることができて喜びというか、まさかここまでいるとはなあという自分のしぶとさをしみじみと感じました。最近は結構な程に気分が沈んでいて、眠れない日が増えていき、食べる量が減っていくことや薬を飲む日が増えていくことで自分のストレス値を知る毎日でした。辛くて辛くて、息がうまくできない毎日に終わりがあることがわかっていても中々立ち直れませんでした。だからこそブログも上手く書けなくて何度もゆいな先生に待ってもらいました。


私はこのブログを始めて、本当にこんな暗いことばかり書いていいのかと悩んでいました。日記とは名ばかりのただの愚痴箱になってはいないか、不安でした。しかし、ゆいな先生と話した結果「いけるところまで自分らのキモさを出していこう」となったのでこれからもしぶとくのびのびとキモさ全開の文をここに残していこうと思います。

とりあえず、22歳になった最近の私はとんでもなく気分が下がっているけど些細な幸せと共になんとか生きています。たくさん量を食べられたり、何も考えずに眠れたあの頃を思い出して、少しづつ取り戻していこうと思います。

いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。
こうしてリンクをクリックしてここまで読んでいただいたことで読んでいるあなたの時間になれて嬉しいです。(基本的にその時思ったことを突発的にそのまま書いているので、読み返すことに恥ずかしさを覚えてしまい誤字脱字が結構な頻度であると思うのですが、どうかどうか温かいお心で見ていただけたら幸いです。)
よくわからない世界の人生ですが、共に生きましょう。

 

愛を込めて

 

りさ

20230118

気づけば年が変わっていて、時間の流れが早く感じます。美味しいお鍋と年越しそばのおかげで、寂しい年越しにならずに済みました。

 

カナダに来てから、生活環境や交友関係など、変わったことはいろいろありますが、ひとつ大きな変化として、「じぶん」と向き合って考える機会が増えたように思います。自分は何者で、何がしたいのか、何ができるのかを考えるようになりました。

「就活せなあかんタイミングなんやし、そりゃ当たり前やろ」と言われれば、それはそうなんですが、もしカナダに来ることなく日本で、いわゆる「自己分析」「就活」をしていても、気づけなかったことがあるんじゃないかなと思うんです。

 

 

私は忙しいのが好きなタイプの人間です。思い返せば、小さい頃から習い事をいっぱいして、中高では忙しい部活に入って、塾に行って、遊ぶ予定もたくさん入れて、大学に入ってからも授業をいっぱいとって、バイトをめっちゃ入れて、友達との予定をハシゴして、、、

とにかく予定を詰めて忙しくしていたいタイプです。そんな生活をしていたからか、今までの人生であまり「暇」って感じたことがなくて、じっくり立ち止まって自分や自分の将来について悩んだり考えたりするってことがなかったんです(良くも悪くも)。もちろん人並みに悩みとかはありましたが、目の前のことを一生懸命頑張るって感じで、自分や自分の過去のことを顧みる機会が少なかったように思います。

 

そんな私ですが、バンクーバーに来て以降、自分と向き合って、考えることが増えました。なぜか?と言われるとよくわかりませんが、違う環境に身を置いたからかもしれないし、年齢・人種の異なる多様な人と出会えたからかもしれない。もしくは、単純に忙しさから解放されて、「暇」な時間が増えたからかもしれない。とにかく、自分や自分の将来のことを考える機会が増えて、これが自分にとっては何か新鮮なんです。

 

「留学に来て視野が広がりました!」「多様性に触れました!」「価値観変わりました!」とかいうと、陳腐な言葉に聞こえてしまいます。陳腐な言葉で片付けたくはないけれど、かといって何か他に、うまく言語化することもできません。でもひとつ確実に言えることは、今ここで過ごしている時間は、わたしにとって、有意義な時間になっているということです。

 

一方で、考えれば考えるほど、自分がわからなくなります。私はこういう人間です!こういうことがしたいです!って言い切れたらそれは簡単だけど、人間ってそもそもそんな単純じゃないと思うんです。

 

お前ごときが「人間」という大きな主語を使うな語るなと言われそうですが、大目に見てください。

 

人ってみんなそれぞれに、相反する二つの特徴や性格を併せ持っていると思うんです。

計画立てて物事進めるのが好きなのに、物事を先延ばしにしたり。直感に頼る派というよりかは慎重派なのに、心のどっかではなんとかなるやろ!と思ってる自分がいて、急に大胆不敵な行動をとったり。人の恋愛には冷静かつ客観的にアドバイスできるのに、自分のこととなると、急に冷静さを失ったり。

 

自分=〇〇っていう、恒久的な特徴、性格だってもちろんあるけど、そうじゃなくて環境や場面によって変わるモノのもあるなぁ、と。まぁ、だから何?と言われればそれまでなんですけどね。当たり前っちゃ当たり前ですよね。

とにかく、人間って不思議です。

 

 

いよいよ、本当に何が言いたいのかよくわからない回になってしまいました。

ここまで、稚拙でつまらない文章を読んでくれたそこのあなた、ありがとうごさいます。そんなあなたに幸あれ。

 

ゆいな

20230115

遅めの明けましておめでとうございますを失礼します。

 


本当は少し前からこれを書いていたのですが新年早々暗い事を書いていいのかとあげるのを悩んでいました。新年一つ目に暗いことを書いていいのか。

 


実を言うと、私は悲しみの中にいます。深くて抜けられずどうしようもできないような気がして余計に不安に襲われます。しかし、人間として社会の一部として生きているのならば一度くらいは経験するかもしれないことです。いつかそんなこともあったなあと流せる時が来ることを願い、今私はこれを書いています。

 

 

 

私か悲しさの中にいても周りは何も変わらない日常にいます。自分がいかに愚かで恥ずかしい存在かと思ってしまうこともあります。悔しさや憤りを覚えてしまおます。確実に私は何かを失っているのに、それが平等じゃないなあと感じてしまいます。

 

けみおくんが言っていたようにこんな暗い気持ちの中、人生の中で何度自分を奮い立たせなければならないんだろうと思います。こうやって何度も悲しみを耐えていつかこれに慣れる日がくるんでしょうか。大人になってピーマンが食べれることを成長と呼ぶのか、麻痺と呼ぶのか。矛盾ですが私はいつまでもこの痛みに慣れないままでいたいとも思います。痛みに慣れた大人にはなりたくない。

 

 

 

最近のこんな暗〜〜〜い話しをし続けるのもどうかと思いますね、すみませぬ。

 

しかし、嬉しいこともありました!

私が日本に帰ることに寂しいと言ってくださって自分が去ることで何かを思う人がいることに少し救われました。

 


私の人生は「深く考える」という根深い問題でもあり小さな喜びでもあるこれといかにうまく付き合っていくかが大きな鍵になっています。

最近はそれをうまく止められずモンスターと化し私の心の中で大暴れして荒波を立て続けています。

キモい人生です所詮。

ただ少しずつ自分を受け入れることができるようになっているよう〜〜〜な気がしています。

いつかの自分のためになれる今であることを願います。

 

 

これが何にもならないかもしれませんが、もし読んでいる方が悲しみの中にいるのだとしたらこの文で少しでもあなたの心を和らげるお手伝いができたら、と思っています。

 

 


まあならんくても知らんけど!

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

また次の投稿で!

 

りさ