20230225

こんにちは、みなさんいかがお過ごしでしょうか。やばPな自分がここまでブログを続けていられることに正直、驚いています。最近は晴れが続いていて明るい気持ちが続いていて天気で人の心が左右されるって人間とは不思議だなと常々感じています。

 

 

 

さてゆいな先生も取り上げていた本の話でもしましょう。実は一緒に行った旅行中に私も読みました。なにしろ睡眠不足の中で読んだので少し暗い受け取り方をしてしまいましたが、いろいろと考えさせられました。一つだけ思ったのはただ、寂しいとだけです。この人の生活に何かを与えることもできなければ与えてもらうこともできない。彼女は彼女にとっての世界だけを望んでいて他者の理解へはあまり興味がないようです。私は全く本当に何も関係ないですが、彼女の人生の一部を除き、そこに理解すら示すことさえ求められていないことに少しの寂しさを覚えました。まあ彼女からしたら知らんがなといったところですが。

 


とかいう私はそうやって「普通」ではない側の扱いを物心ついた時から受けられることが人よりすこし多かったように思います。小学生の時から「りさちゃんは変わってるね」とよく言われたものです。私は当時ファッショデザイナーになりたいとかいう小学生あるあるの漠然とした夢を持っていたので母からの「普通じゃないって良いことやん」という言葉と共に褒め言葉だと受け取ってきました。

しかしやはり中学生、高校生になると思春期の子供たちは群れること好みます。少しずつ集団の中で違うことがあるごとにだんだんと自分への自信を失っていった気がします。今でさえ、もし、この集団という文化ではなく個人主義の国に生まれていたら私は今とどう違うんだろうと思ってしまいます。

 


幸いなことにそうやって少数派の私は自分と同じ良い意味で常識を持っていない人たちに出会えてきて大切な関係を築けています。私にとっての普通の人生は幸せを探す人生です。そこには年齢も性別も考え方や性格もあまり関係ないように思えます。今でも、未来のためでも幸せを求めることがあればみんな普通だし唯一無二の素敵なその人の人生です。

常識と言った当たり前がないからこそ悩むことは多く自分で決めなければならないことが負担になることはもちろんありますが、その分自分に合った幸せが広がる気がします。

 


私はずっとなぜ年齢と共に皆同じ教育を受けるのか、高校を卒業したら大学へ行くのか、なぜ自分は男が好きだと思っていたのか、何のためにメイクをするのか、なぜ人間は好きな人と家族になろうとするのか、結婚するのか、なぜ無意識に私たちはしてはいけないことを知っているのか。

たくさんたくさん考えてきました。こんなつまらない小さななぜを一つ一つ考えて自分なりの答えを出してきました。

一時期はなぜ人を殺してはダメなのかについて本当に真剣に1ヶ月ほど考えていた時期もあります。これをみて誰かはなんだこいつは、倫理観もないのかと思うかもしれません(笑) 私はただ、これが人間が本能的に思うものなのか、それとも歴史から培われてきたものなのか気になったのです。本能的に人間という生物を絶滅させないためにそう考えるようになっているのか、または集団で生きる人間にはルールが必要でリーダーなる上に立つものが皆を仕切るために必要だったのか、はたまた誰かがその罪を犯した場合にその人が「普通」ではないと認識することで自分たちが「普通」だと再確認し、安心するために作ったのか。など、馬鹿げてはいますが本当にたくさん睡眠を妨げるほど考えたものです。

最終的に至った結論はとてもシンプルで、誰であっても誰かの人生と未来を奪うことはできない。ということです。それぞれ誰であろうとあなたがどんなに嫌いであろうとその人にはその人の人生があって未来がある。そしてそれは全員が生まれた時から持っている権利のような財産のようなもの。だからこそ誰にも奪うことはできないと、私は結論付けました。

常人なら1番に思いつきそうな内容です。

でもこうやって悩むことで自分が出した結論だからこそどんな時も納得でき、自分の決断に自信を持つことができます。人生できっと1番多く言われた言葉は「考えすぎ」です。何度言われても傷つき、慣れることができません。なぜならこれが私にとっても普通だから。いつも考えすぎと言われるたびに自分を否定されたような気持ちになります。

しかし、自分の幸せな人生にはこれは必要不可欠です。これからも些細な疑問を一緒に分かち合ってくれる愉快な友達と幸せに向かって生きていきたいと思います。どうせ人間はいつか死ぬんだし自分を愛さなければ。

両親だって私の存在は愛してくれてはいるけど、私の思想までもを愛しているわけではない。自分が愛さなきゃ、誰が愛してくれんねんと最近つくづく考えます。

 


話は急に本へと戻りますが、彼女は他者への介入や理解を求めてないように思えます。自分の世界だけで完結しており、他と関わることは単なるオプションにすぎず、どこまでうまくやり過ごせるか、つまり受け流せるか、というように見えました。そこに少しの寂しさを覚えました。

 


と言った感じの最近本を読んで感じたことと自分のことについて向き合った感想でした!

 

 

 

つくづく思うけど自分のことがめっちゃ好きでしゃあないわあって誰かに笑って言えるようになったらいいなあ。

そんで好きな子にはいっぱい愛伝えよ!好きって思ったらそん時言お!!!

みんなにたくさん幸せがきて大好きな人と素敵な毎日を送ってほしいだけなんよ、神様は試練与えすぎやし、みんなは頑張りすぎ。程よくへらへらにこにこに生きていこうね。

 


あと最後にめっちゃべらべらしゃべってごめんなんやけどなんか幸せやなと思ったことあった!この前韓国人の姉さん的な人とこれまた韓国人の大好きまぶ〜みたいな子と3人でご飯食べに行ったんよ。自分、最近結構友達にちょっといろいろあってそれを姉さんが理解してくれて友達のおかしいところを韓国語でぶわあって言ってくれてその時にきこえる自分の名前にすごく嬉しくなった。大好きな人の母国語から聞こえる自分の名前が大切なものに思えて本当に泣きそうになった。もっとこの名前好きになったわ。誰かから伝わる感情の温度感に敏感で久しぶりに幸せだと思った。

 


といったころで、、、そろそろ終わりにしま〜す

今回信じられんほどだらだら書きすぎた。

 


最近イギリス人バイトの子とお互い不眠症だねって話になったあと帰り際に言われた”Sleep well”にすごく感激を受けたのでみんなにもお届けしたい。

 


それではみんな〜自分に優しく生きてください。

Sleep well<3